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日本式健診とは

人間ドックは欧米で生まれました。保険会社が生命保険や健康保険の支払いリスクを下げるため、顧客に健診を勧めたのが始まりです。さらに日本では健診による別の付加価値が見出されました。

日本は世界屈指の予防医学先進国であり、日本予防医学の歴史を遡ると、1900年前後から、50年周期で3段階の革新変遷がありました。


▸ 予防医学第1段階〈1900 ~〉

1900年前後、予防医学に貢献した2名の偉大な日本人学者

1 北里柴三郎 (1851-1931) 免疫療法の創始者北里とは、ドイツ人学者Behringとジフテリア、破傷風の血清療法を開発し、予防接種を開始しました。1901年第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に北里とBehringが選ばれましたが、脚気論争(後述)の影響で、Behringだけが受賞しました。北里はドイツへ留学し(コッホ研究室)、帰国後は国立伝染病研究所、北里研究所、慶應大学医学部を創設し、日本予防医学協会会長、初代日本医師会会長に就任しました。
2 高木兼寛(1849-1920) 生活習慣病、食事療法の創始者でありイギリスの日本海軍軍医総監、東京慈恵会医科大学を創設。当時日本の医学界では「脚気論争」が30年にも渡って行われ、細菌説と飲食原因説に分かれていました。高木は2隻の軍艦の船員に「野菜スープ対白米飲食比較実験」を行いました。100日後、野菜スープ側の船員に脚気が発症しなかったのに対し、白米側の船員は半数が病気になり、20%の船員が死亡しました。この結果から、高木は海軍に野菜食の導入を提案し、脚気患者の大幅減少に寄与しました。

▸ 予防医学第2段階〈1954 ~〉

1954年人間ドックが全国規模で展開され新しい医療の概念が誕生

1938年桜内幸雄、俵孫一の両国会議員が初めて入院して健康診断を行いました。当時軍による議会政治の中傷を防止するため、事前に記者会見が開かれましたが、会見は「人間ドック」という言葉で始められました。


「今回の入院は、帰港した艦船がドックに入り、船底やスクリューの傷を点検し、エンジンや機器を整備し、船員を休養させ、次の航海に備えるようなものだ」


1 1938年に始まった人間ドックは、第二次世界大戦で中断されましたが、1954年、東京第一病院が再開しました。同年、第2代日本病院会会長橋本寛敏が会員病院に人間ドック開始を呼びかけ、人間ドックを全国規模で展開しました。現在、日本で人間ドックの名を知らない人はいないまでになりました。
1974年:自動化健康診断システム導入
1999年に認定制度開始、2004年に健診施設機能評価開始
2 健康診断の目的
生活習慣の改善 (一次予防)
癌、脳卒中、心臓病などの早期発見、早期治療 (二次予防)
3 「人間ドック」の高度専門性

健康を自負する人、自覚症状がない人の病気やリスク因子を発見するのは病人のそれの何倍も難しい。


▸ 予防医学第3段階〈2008 ~〉

2008年4月より特定健康診査・特定保健指導制度が開始

特定健診制度、特定保健指導制度は、40~74歳の保険加入者を対象として、全国の健診センターの医療機関で実施されます。毎年進行する個々人の生活習慣病の危険因子(リスクファクター)を見つけ出し、結果はコンピューター上に記録され、進行著しい場合は保健指導が行われます。国民へ健康メールを送って管理指導し、日に日に深刻になる生活習慣病を改善し、超少子高齢化社会により膨大になる医療費支出を抑える狙いがあります。
 

▸ 日本式健診の特色

1 一定の計画、順序に従い検査が実施され、正確さが要求される。
2 日本は予防医学先進国で、免疫療法・生活習慣病関連・食事療法いずれも世界トップクラスといえる。
3 1938年、世界に先立ち入院型全身健康診断センター設立。
1959年、基礎・治療・抗加齢医学を包括する、日本人間ドック学会設立。
全身型予防医学の概念
▪ 一次予防(病気の発生予防)
▪ 二次予防(病気の早期発見と治療)
▪ 三次予防(合併症・死亡などの転帰の改善)
▪ 四次予防(過剰な/不必要な医療介入の防止)
4 「疾病を見つける」健診から「病気にならない体質を作りだす」健診へ。